アーカイブス なぜ韓国に福音は浸透したのか?(日本に適用できる要素はこれだ!)1

  • 2020.05.20 Wednesday
  • 23:46

なぜ韓国に福音は浸透したのか?(日本に適用できる要素はこれだ!)1

 

お隣り韓国のキリスト教人口と教勢は日本と比較にならず、これまで日本の指導者も信徒も、韓国に学べと交流や訪韓、宣教師・教師が来日して教会開拓が盛んに行われてきました。
それよって経済的にも霊的にも相当投資したはずですが、国家的・民族的な総体的にクリスチャンが増えるような著しい成果はまだみられません。

 

毎年のように海外から新しいミニストリーがやってきて、ものすごく前宣伝をするので、これで日本は代わると錯覚させられてきました(そして毎年何事もなかったかのように忘れます。そして次のミニストリーへ気が移る 笑)。

 

なぜ輸入方式がフィットしないのかを考えたとき、私たちにある視点が欠落しているように思えます。
それは、これら海外ミニストリーの大半は成長している教会、あるいはすでにキリスト教化された地域の方法、つまり成長後、福音化後の方策であり、福音化前の状態に適応できないことは当たり前なのです。

 

私たち日本人クリスチャンが留意すべきことは、99%ノンクリスチャンの日本はまだ宣教段階(宣教か伝道かはいつか分かち合います)であり、キリスト教がアイデンティティーになっている欧米や、アジアでも植民地化による定着した地域、あるいは福音化に成功した韓国や中国など、通ってきた歴史も文化も民族性も異なる地域にそのまま移植して定着することは厳しいのです。

 

何十回輸入しても効果が期待できないのなら、ここらで少し立ち止まって視点を変える必要があります。
盲点となっているのは、なぜ韓国に福音が浸透したのか?を分析し、その問いに対して答えること、そして適用できる要素を見つけることです。

 

日本の救霊を真剣に考える者の一人として、以前から一緒に研究なり勉強会なりを持ちたかったのですが、機会に恵まれず今日に至ってしまいました。

 

これ以上徒に時を費やすことはよくないと考え、皆様に分かち合います。


教材は愛知大学の常石 希望(つねいし のぞむ)教授の、韓国でどのように福音が受け入れられていったかというテーマで研究した秀逸な論文です。

 

下のURL(先頭にhを一文字補うこと)からダウンロードできます。

 

日本に救霊の重荷のある兄姉は是非熟読されてください。

 

[中][下]もありますが、後日URLをお知らせします。

 

論文  韓国における初期キリスト教受容の要因[上] 常石 希望
ttp://leo.aichi-u.ac.jp/~goken/bulletin/pdfs/No13/04TsuneishiN.pdf

 

p71 創期におけるその宣教とは,単に宣教師や牧師にのみ課せられた務めではなく,一般信徒個々が自発的によく宣教し,伝道しようとした。

 

韓国のキリスト教は,草創期から特にその傾向が強かった。

 

「自主」「自立」の2語は,草創期韓国キリスト教の一大特色であった。

 

牧師がいなくても,宣教師がいなくても,外国ミッションからの経済援助がなくても” 信徒だけで教会を建て,聖書を学び,祈り,伝道するようにと,最初からそのように宣教師・牧師によって教育されたのが韓国キリスト教であり,「ネヴィアス方式(Nevius Plan)」の名と共によく知られる初期韓国キリスト教の特徴であった。

 

「宣教する宗教・キリスト教」,韓国のキリスト教は草創期からそのことが信徒個々にまで浸透していた国であった。

 

p71-72 なぜ韓国はキリスト教を受容したのか」という問い以前に,まず「宣教する宗教」としてキリスト教が存したのである。
その宗教が「宣教する宗教」であった故に,だから韓国はその宗教に触れ,その宗教に接することができ,遂にはその宗教を受容することもできたのである。

 

つまり,韓国キリスト教受容の最大枠の要因は,キリスト教自身の側にまず存していたのである。

 

p75  韓国という地に生まれたキリスト教は,はじめから自主・自立および土着化の道を,韓国人自身の足で歩むように構造的に定められていたと言えるからである。

 

コメント:韓国初期キリスト教は、スタートから「自主」「自立」をかかげ、海外宣教団体に依存することなく、信徒も自ら聖書を学び、祈り、伝道し、さらに教会まで建てることを前提に教育されて来ました。


キーワードはズバリ「自主」「自立」、そして[下]に出てきますが、「信徒牧師」、つまり弟子化された信徒です。

 

対する日本は今でも海外宣教団体からミニストリーのプログラムを毎年のように受け入れるが、飽きっぽく継続できず、新たなミニストリーやプログラムをとっかえひっかえしている現状です。

 

指導者も信徒も相変わらず対外依存が強く、日本人自ら伝道や牧会を行う姿勢はおおよそ程遠いと言わざるをえません。

宣教師や指導者に世話されるのが当然とばかりに依存し、甘やかされて10年経ってもパッと聖書が開けない信徒が多いのなら、国家的な目を見張る救霊は期待でません。

 

日本人指導者も精神的に海外に依存しているので、まずは指導者から悔い改めて「自主」、「自立」の精神を養わなければなりません。

 

同時に、信徒も悔い改めて、カスタマー(顧客)クリスチャンから、コ・ワーカー(主の同労者)クリスチャンになることを決意しなければなりません。

 

それはトップダウン(上から、偉い先生の仰せのとおり)ではなく、ボトムアップ(下から、私が主体のなって主の働き人となるぞ)という視点の転換でもあります。

 

リバイバルは海外からやってくるではなく、私たち一人一人の内側の変革から始まるのです。

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014年09月30日 火曜日 配信
 

第4章1節1項(1) これまでの日本宣教とこれからの日本宣教

  • 2020.05.08 Friday
  • 19:23

第4章 これまでの日本宣教とこれからの日本宣教

 

以上、私たち日本人が無意識にしろ、意識的であれ習慣や出来事にある霊的は背景を分かち合いました。
ここからは、それらを踏まえて、日本宣教について語っていきたいと思います。

 

1.これまでの日本宣教

 

(1)文明落差の宣教

 

福音化と西洋化

 

江戸時代が終わり、明治に入って日本へ本格的に宣教を行ったのは、西洋諸国のキリスト教会や団体でした。
非キリスト教文明や非キリスト教的文化に対する宣教は、「福音化」と「文明化」というコインの裏表のように、互いに欠かすことのできない要素でした(1)。

 

福音化は、非キリスト教的文化圏の人々をキリスト教に改宗させることであり、文明化とは、西洋キリスト教文明に同化させることでした。

 

そこには当然、土着の非キリスト教的文化や世界観、習慣習俗との対立、摩擦や葛藤(かっとう)が起こります。

欧米の宣教師たちは、西洋の文明は非キリスト文明よりも圧倒的に進歩しており、その優位性によって遅れた異教徒を教化できると自信に満ち溢れていたことでしょう。

 

フィジーでは、ある首長が。西洋文明からもたらされた道具の威力あるゆえに、宣教師の宗教も真実で力があると語ったといわれています(2)。
そこには文明落差の宣教という見方だけで捉えるのではなく、物に力が宿る「マナイムズ」(3)という概念が働いていることもあります。

 

おまけ付きの宣教手法

 

西洋からの宣教師たちは、片手に聖書、もう片方の手には西洋の科学や文化、道具、技術といった西洋文明に裏打ちされた宣教手法を用いました。

 

そして、福音化のためには、まず教化がなされ、教育のための学校、さらにはmersy ministries(マーシーミニストリーズ)と言われる貧困や差別の下にある社会的に弱い立場の人々に対する保護施設や、医療施設などの慈善活動を伴った福音の伝達がなされました。

 

それで今日まで、多くのミッション系のスクールや病院、慈善事業団体が存在しています。
もちろん、それは主の御心に沿った(私はあわれみは好むがいけにえを好まない マタイ12:27)の実践で敬服すべきです。
しかし、その恩恵を受けたはずなのに、改心者の数は増えていません。

 

別段、これは日本に限ったことではなく、19世紀のインドで展開したミッションスクールでは10000人の生徒のうち、一人の改宗者が見られなかったとか、セイロン(現在のスリランカ)のミッションスクールでも30000人のうち、わずか30人しか改宗しなかったと報告されています(4)。

つまり、福音の受け手は、キリスト教信仰とは距離を置きながらも、ミッションスクールが提供するメリットのみを受け入れたのです。

 

日本もミッションスクールだけでなく、福音に何かを付加して伝達する手法も同じ問題を抱えています。

 

例えとしてはことばが悪いのですが、かつて、子供向けにおまけつきのお菓子があり、目的のおまけほしさにお菓子は捨てるということが起こり、食べ物を粗末にする行為が社会問題化したことがありました。
倫理的な問題としての是非はともかく、この場合、伝え手であるお菓子の提供者は売上を上げることが目的で、受け手のこどもはおまけを得ることが目的なので、双方が一致しています。

 

しかし、日本人の救いを願う私たちにしてみれば、おまけだけ受け入れられて、福音伝道の目的であるはずの、食べてもらいたいいのちのパンを捨てられるのはたまったものではありません。

 

(1)伊藤豊 『宣教と文明化 -R・アンダーソンの戦略-』
山形大学人文学部研究年報 第11号(2014.3)P87
https://www-hs.yamagata-u.ac.jp/wp-content/uploads/2017/10/nenpou11_06.pdf (2020年4月26日)

 

(2)橋本和也 『フィジーにおけるキリスト教受容の過程と実態 ―文化変容再考―』p409
http://ir.minpaku.aci.jp/dspace.bitstream/10502/3463/1/KHB_006_019.pdf (2011年5月2日)

 

(3)第1章5節 宗教起源の分類 
http://maccabaeusministries.com/manage/?mode=write&eid=6

 

(4)伊藤豊 同 p93-94


 

アーカイブス 幻に終わった河豚(ふぐ)計画 大日本帝国によるナチス・ドイツのユダヤ人迫害から救出計画(2)

  • 2020.05.03 Sunday
  • 20:52

幻に終わった河豚(ふぐ)計画 大日本帝国によるナチス・ドイツのユダヤ人迫害から救出計画(2)

 

前回配信 幻に終わった河豚(ふぐ)計画 大日本帝国によるナチス・ドイツのユダヤ人迫害から救出計画(1) No.58  2015年8月9日 日曜日配信
から1年4ヶ月以上も経ち、前回の内容もお忘れでしょうから、少しおさらいをして、後半を分かち合っていきたいと思います。

日本が太平洋戦争に突入する前に、すでに中国と泥沼の戦争中でした。
日本の中国侵略に対して、アメリカは様々な経済制裁を日本に科したので、日本は経済的にも国民生活も追い詰められていきました。

 

日本の軍人や政府職員、民間企業の一部の人々によって、ナチス・ドイツの迫害によって行き場のないユダヤ人を、満州(現在の中国北部)に大量移住させて、「ユダヤ満州共和国」を計画しました。
それによって、アメリカに根を下ろしたユダヤ人財閥を満州開発に資本を招き入れようとしました。

 

そうすれば、アメリカ経済に影響力を持つ彼らがアメリカ政府にとりなしてくれれば、日本に対する頑(かたくな)な態度を和らげることで険悪(けんあく)な日米関係を直せるのではと期待したのでした。

 

河豚(ふぐ)料理はおいしいが、毒にあたると死ぬことから、同じようにこの計画も当たればユダヤ人保護とアメリカとの対決を避けたうえに、経済的にもプラスだが、失敗したら損害が大きいと意味で、「河豚計画」と呼ばれたそうです。

 

関係者の子孫のお話がネット上でも閲覧でき、もし成功したら太平洋戦争も起こらなかっただろうと述べています。

日本はナチス・ドイツと同盟を結んだ戦犯国として今でも槍玉に挙げられますが、東アジア諸国対する加害は別として、日本が国策国家単位でユダヤ民族を迫害したことはなく、逆にユダヤ人迫害を求めてきたナチスの要請を蹴ってまでユダヤ人を保護したことは知られていません。

 

6千人のユダヤ難民の日本通過ビザを発行した杉原 千畝(すぎはら ちうね)氏以外に、ユダヤ人保護に尽くした樋口季一郎陸軍中将の功績も知られるようになりました。

 

今回は犬塚惟重(いぬづか これしげ)日本海軍大佐のことについて分かち合っていきたいと思います。

 

以下は

 

http://news.livedoor.com/article/detail/12400617/

2016年12月11日 8時0分 まぐまぐニュース

2016年12月11日(日)閲覧

 

から。

 

ここから全文引用開始。

 

命がけでユダヤ人を守り抜いた日本海軍大佐・犬塚惟重の半生

 

今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』の主人公は、日本海軍の大佐でありながら、「ユダヤ問題研究家」としても知られる犬塚惟重(いぬづかこれしげ)大佐。陸軍所属で同じくユダヤ問題の研究家でもある安江仙弘(やすえのりひろ)大佐とともに、世界中で酷い扱いを受けていたユダヤ人の保護活動を続けていました。
犬塚大佐は一体どんな思いで彼らを見つめ、守り抜いたのでしょうか?

 

ユダヤ難民の守護者、犬塚大佐

 

1982年3月12日付けエルサレム・ポスト誌にタブロイド判1頁を費やして次のような記事が掲載された。

1941年3月、このシガレット・ケースは39年以来、上海でユダヤ関係機関長であった犬塚惟重海軍大佐が、300名のユダヤ神学生を日本占領区域に収容してくれたこと、1万8,000名のドイツ、オーストリー、ポーランドからの避難ユダヤ人を救ったことへの感謝の印に贈られたものである。

 

このシガレット・ケースは犬塚未亡人から米国のラビ・トケイヤーの手を経て今、エルサレムのヤッド・バシェムに贈られ、大虐殺追悼記念館の収集品に加えられた。

 

 (寄贈)式はアラド総裁事務室で地味に挙行され、犬塚大佐がこの贈り物を受け取るまでの経緯を総裁が述べ、ユバル副総裁が1948〜49年に上海で見聞した犬塚大佐は学者肌で人道主義の寛大な日本士官で、特にユダヤ民族の更生に力を尽くした非凡な人物との評価を披露した。

 

また、彼の指揮によって、日本人学校校舎が避難ユダヤ人たちの宿舎になり、病院建設に協力したり、シナゴーグ(ユダヤ教教会堂)建設工事にセメントを融通するなどの助力を惜しまなかった。

 

上海へのユダヤ難民

 

上海に最初のユダヤ人難民が流入したのは、1938年秋、ナチスが当時ヨーロッパで最大のユダヤ人口を持つオーストリアを併合してからであった。

 

その後、チェコ、ポーランドとドイツの支配圏が広がるにつれて数百万のユダヤ人が世界各地に逃げ出さざるをえなくなったが、彼らの目指すアメリカ、中南米、パレスチナなどは入国ビザの発給を制限していた。

ユダヤ難民がビザなしに上陸できたのは、世界で唯一、上海の共同租界、日本海軍の警備地になっていた虹口(ホンキュー)地区だけだった。

 

ここにユダヤ難民がどっと押し寄せたのを、現地ユダヤ人らが、もとの小学校や中学校などの無人の建物に収容して、給食や生活保護を行うことにしたのだった。船が着くたびに上陸するユダヤ難民はたちまち1万8,000人に膨れあがった。

 

1939(昭和14)年夏、犬塚大佐は東洋一と言われた17階建てのブロードウェイ・マンション・ホテルの16階に事務所兼住居を定めた。

 

25畳ほどのリビング・ルームにベッド・ルーム、クローク・ルームなどを備えたスイート・ルームだった。謀略嫌いの海軍の工作機密費はわずかだったので、犬塚は自分の退職金をすべてユダヤ工作につぎ込むつもりだった。

 

海軍武官府からは贅沢だと非難する向きもあったが、哨兵の立つ武官府ではユダヤ人達が気安く出入りしにくく、また極東のユダヤ財閥の首脳部に応対するためには、こうした見栄も大切だった。

 

栄達の道を投げうって

 

陸軍でのユダヤ問題の第一人者・安江仙弘(やすえのりひろ)大佐に対して、犬塚大佐は海軍の第一人者であった。
そのユダヤ研究は海軍内でも着目され、首脳部から命ぜられて、1928(昭和3)年からは大使館付き武官補佐官としてパリに駐在して、ユダヤ社会での見聞を深めた。

 

1930(昭和5)年12月に帰国してからは、軍令部で防諜、思想戦、ユダヤ問題の統括を任され、言論界の指導層に対して、「ユダヤ民族には共産主義者や米国での反日主義者もいるが、八紘一宇の精神で人道主義的、平和主義的に転向させるべき」と説いた。

 

昭和13(1938)年には、安江大佐とも協力して、関係方面に精力的に働きかけ、世界中で排斥されつつあるユダヤ難民に対しても、他国人と同様の公正な取り扱いを行うという五相(首相、陸・海・外・蔵相)会議決定を実現した。

 

満洲・北支(シナ)方面のユダヤ工作は安江大佐が担当していたが、上海の海軍警備地区内での難民対応、ユダヤ財閥の反日運動対策、そしてユダヤ人が実権を握る米国マスコミへの工作を考えると、犬塚大佐は上海に腰を据えて、ユダヤ問題に専念しようと決心した。

 

ちょうど、人事局の方から「少将への昇進の過程として、一時、海上勤務にまわるように」という内意がもたらされたが、自分がユダヤ問題を担当することが日本にとってもユダヤ人にとってもよい、との判断から、栄達の道を投げ打ち、予備役編入とともに、上海勤務を願い出たのである。

 

ユダヤ居住区設定の提案

 

上海に居を構えて数ヶ月後、1939(昭和14)年12月21日、犬塚大佐は上海ユダヤ首脳部から午餐の招待を受けた。
ユダヤ避難民委員会副会長M・スピールマンが、ヨーロッパ各国を歴訪した結果を聞く集まりであった。
報告は非常に悲観的なもので、9月の第2次大戦の勃発により、パリやロンドンのユダヤ人団体からの上海への送金も途絶えてしまった。

 

またアメリカのユダヤ人団体もヨーロッパでの大量難民救済に追われて、上海への送金もいつ停止するか分からない状態だった。

万策尽きた段階で、犬塚大佐は「一つ私からの提案がある」と切り出した。

 

アメリカに日本の必要物資を供給させることができれば、私はユダヤ難民に満洲国か支那の一部をユダヤ人居住区として開放し、まず試験的に2、3年にわたり、毎年約1万5,000人ぐらいの避難民を移住させる案を考えているが、皆さんはこれを支持できるだろうか?

 

一同は即座に賛成したが、アメリカのユダヤ勢力が国務省を動かして、日本への重要物資禁輸政策を転換させるだけの力があるかどうかは分からなかった。犬塚大佐は「国務省に対し、全力を尽くして運動します」と約束すれば、日本政府はユダヤ居住区の案を好意的に考慮するだろうと答えた。

 

ユダヤ人居住区を求める請願

 

その翌々日、満洲ハルピンにて第3回極東ユダヤ人大会が開かれ、日本、および満洲帝国が人種的、宗教的差別をせず、各民族に平等に権利を認めている点を感謝する決議を行った。
その間に秘密代表会議が開かれ、犬塚大佐の案に基づいて、日本政府にユダヤ人居住区設定の請願をし、アメリカのユダヤ人社会に協力を求める決議を行った。

 

大日本帝国は、…極東在住ユダヤ人に対して、八紘一宇の国是に基づき、人種平等の主張を堅持し、何らの圧迫偏見なく、大なる同情をもって保護を与え居らることは、我ら同族の感謝に堪えざるところなり。
…帰るに国なき我ら同族に対し、大日本帝国の尽力により極東いずれかの方面にユダヤ民族のため、一部の地域を設定し、安居楽業の地を与えられなば、我ら全世界ユダヤ民族の幸福にして永遠に感謝するところなり。…

 

1939年12月25日
極東ユダヤ人代表会議議長 カウフマン
大日本帝国 内閣総理大臣 阿部信行閣下 

 

米国ユダヤ人指導者の反日姿勢転換

 

ステファン・ワイズ・ユダヤ教神学博士は、米国のユダヤ指導者階級の中心人物のみならず、全世界ユダヤ民族の指導者ともいうべき人だった。
ルーズベルト大統領のブレーンの中でも随一であり、大統領ある所には、必ず影のようにワイズ博士がついていたと評され、その政策を左右する実力を持っていた。

このワイズ博士が頑迷な反日主義者だった。

 

1938(昭和13)年10月、米国ユダヤ人代表会議での対日態度決定の討議でも、ワイズ博士がただ一人、対日強硬姿勢を主張したため、遂に未決定に終わったことがあった。

 

1938年と言えば、その前年12月にハルピンで第一回極東ユダヤ人大会が開かれ、この年3月には約2万人(一説には数千人)のユダヤ難民がシベリア鉄道経由で満洲に押し寄せ、吹雪の中で立ち往生している所を、樋口季一郎少将が中心となって、特別列車を出して救出していた。

 

こうした事実にも関わらず、ワイズ博士が反日強攻姿勢を貫いたのは、ナチス・ドイツ敵視からその友好国日本も同様の反ユダヤ国家と見なしていたためであろう。

 

しかし、上海のユダヤ人指導者から犬塚提案がもたらされると、ワイズ博士の態度は大きく変わった。
東京在住のユダヤ人を通じて、次のような回答がもたらされた。

ユダヤ避難民問題を日本において解決せんとの案なれば、それがいかなる提案にせよ、もし日本の権威ある筋よりのものとせば、我らユダヤ機関は深甚の考慮を以て受理すべきものなり。

またワイズ博士はその友人に、もし真に日本政府が満洲国においてユダヤ避難民問題の解決に興味を有するならば、「公然と日本の友たるべき決心」である旨を伝えたという。

 

ユダヤ人の日本支援案

 

居住区設定に対しては、陸軍側から、これ以上の難民収容は物理的に困難だとか、ナチスの反ユダヤ思想に影響されての反対があったが、犬塚大佐は粘り強く反論していった。

 

犬塚大佐の根回しが奏効しつつあった1940年9月、大佐の意を受けた日本人ビジネスマンが、ニューヨークでユダヤ首脳と会談し、次のような合意に達した。

 

日本側は上海虹口側に住むユダヤ難民1万8,000人を含めて3万人を上海浦東に居住地区と定め、米国ユダヤはこれに対して2億円の対日クレジット(貸付け枠)を設定し、うち1,200万円で避難ユダヤ人の失業救済として皮革会社を設立し、残余の1億8,800万円は日本の希望する物資、屑鉄、工作機械などを無制限に供給する。
これの公式請願と具体案協議のため、米国ユダヤ数名を日本に派遣する。

 

米国の戦略物資の対日禁輸を打ち破るかもしれない画期的な合意だった。ワイズ博士の親日への転向が大きな原動力となっていたのであろう。

米国の禁輸政策が、日本の軍事力を時々刻々と弱め、座して死を待つよりは、と開戦に立ち上がった経緯を考えれば、この合意が成立していれば、日米開戦は避けられたかもしれない。

 

しかし、それからわずか1週間後の日独伊三国同盟締結のニュースが、この合意を吹き飛ばした。ユダヤ首脳は次のように言って、肩を落とした。

実は日本当局が上海その他の勢力範囲でユダヤ人に人種偏見を持たず、公平に扱ってくださる事実はいろいろな情報でよく知っていました。
その好意に深く感謝し、今回の借款でその恩に報い、われわれの同胞も救われると期待していましたが、今日の米国政府首脳や一般米人の反日感情の大勢に逆行する工作を行う力はありません。
政府は対日クレジットや戦略物資輸出は許可しないでしょう。残念ながらわれわれの敵ナチス・ドイツと軍事同盟した日本を頼ることはできなくなりました。

 

「命のビザ」の陰に

 

このような大きな工作の傍らで、犬塚は地道なユダヤ人保護の活動も続けていた。この年の7月26日、上海ユダヤ中でも最高の宗教一家アブラハム家の長男ルビーから、「宗教上の大問題でぜひ会っていただきたい」と電話があった。

 

ポーランドがドイツとソ連に分割され、ミール神学校のラビ(ユダヤ教の教師)と神学生ら約500人がシベリア鉄道経由でアメリカに渡るために、リトアニアに逃げ込んだという。そしてアメリカへの便船を待つ間、日本の神戸に滞在できるように取りはからっていただきたい、というのが、ルビーの依頼であった。

 

宗教上の指導者ラビと神学生を護ることはユダヤ人にとって大切なことであり、将来これらの人々が世界各地のユダヤ人の宗教上の指導者として多大の影響を及ぼすことは、犬塚大佐はよく分かっていた。

「よろしい。ユダヤ教の将来のために、さっそく関係当局を説得しよう。期待して待っていてよろしい」

大佐が胸を叩くと、ルビーは涙ぐんで「アーメン」と指を組み、伏し拝まんばかりに感謝した。
犬塚大佐は外務当局に働きかけ、公式には規則を逸脱したビザ発給は認められないが、黙認はすることとなった。
この情報が上海のユダヤ首脳部を通じて現地にもたらされ、神学生たちは8月中旬、リトアニアの領事代理・杉原千畝からビザを受けることができた。

 

ただし杉原はこの「黙認」の工作を知らされず、発給規則逸脱で職を賭して「命のビザ」を書き続けたのである。

 

「上海は楽園でした」

 

この件で、感謝の印として贈られたのが、冒頭のシガレット・ケースだった。
それまでユダヤ人から何一つ受け取っていなかった犬塚大佐だが、自分のイニシャルと感謝の辞が刻まれてあったので、快く受け取った。

また犬塚大佐のユダヤ人保護工作への感謝から、ユダヤ人の恩人としてゴールデン・ブックに記載したいという申し出があったが、犬塚は「私は陛下の大御心を体して尽くしているのだから、しいて名前を載せたければ陛下の御名を書くように」と固持した。

日米開戦後も犬塚大佐のユダヤ人保護工作は続いた。

 

1942(昭和17)年1月、ナチスがユダヤ人絶滅の決定をした頃、上海ユダヤ人絶滅のためにドイツで開発したガス室を提供するという申し出があった。
それを阻止したのが犬塚大佐だった、というユダヤ人の証言がある。

大戦中も「上海は楽園でした」という詩を当時の難民生活を経験したユダヤ人女性が残しているが、その楽園の守護者は犬塚大佐だったのである。

 

文責:伊勢雅臣

『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』

著者/伊勢雅臣

出典元:まぐまぐニュース!


以上、引用終了。

 

日本のキリスト教会は過去、天皇を現人神(あらひとがみ)として神格化し、戦争に加担したトラウマから日本そのものを否定的に見がちでした。
そこには公正な批評というよりも、戦後流行った思想の感化や影響も感じられます。
左寄りは日本を否定し、右よりは日本を礼賛(らいさん)しますが、この世のものでない私たちは右か左かの二者択一でなく、主の道を歩むべきです。

 

また、主の民であるユダヤ人のいのちを守った一人の日本人がいた事実に目をつむることなく、認めるべきです。
さらに、私たちは主の民の側に立たなければなりません。

 

幻に終わった河豚(ふぐ)計画 大日本帝国によるナチス・ドイツのユダヤ人迫害から救出計画 (終わり)


メールニュースNo92.  2016年12月21日 水曜日配信

アーカイブス 幻に終わった河豚(ふぐ)計画 大日本帝国によるナチス・ドイツのユダヤ人迫害から救出計画(1)

  • 2020.05.03 Sunday
  • 20:42

メールニュースNo.58 幻に終わった河豚(ふぐ)計画 大日本帝国によるナチス・ドイツのユダヤ人迫害から救出計画(1)

 

長崎に原爆が投下されてから70年経ちました。
未だ癒えない心身の傷を抱え、被爆した方々も減り続ける中、私は歴史学者でない以上、おのずと知識に限界があります。
日本国の加害と被害の双方から、改めて先の戦争は何だったのか、避けることができなかったのかと考える日としています。

歴史にIF(イフ =「もし」)はない言われています。過去に対して「もし、あのときこうすれば」という後付けはいくらでもできますが、同じあやまちを繰り返さないために、客観的な情報を入手しつつ、感情論でなく理性的に批評していくことが大切だと考え

ています。

 

日本がアメリカと戦争になる前に、すでに中国と泥沼の戦争に入っていました。
日本の中国侵略に対して、アメリカは様々な経済制裁を日本に科したので、日本は経済的にも国民生活も追い詰められていきました。

 

日本の軍人や政府職員、民間企業の一部の人々によって、ナチス・ドイツの迫害によって行き場のないユダヤ人を、満州(現在の中国北部)に大量移住させて、「ユダヤ満州共和国」を計画しました。
それによって、アメリカに根を下ろしたユダヤ人財閥を満州開発に資本を招き入れようとしました。
そうすれば、アメリカ経済に影響力を持つ彼らがアメリカ政府にとりなしてくれれば、日本に対する頑(かたくな)な態度を和らげることで険悪(けんあく)な日米関係を直せるのではと期待したのでした。

 

河豚(ふぐ)料理はおいしいが、毒にあたると死ぬことから、同じようにこの計画も当たればユダヤ人保護とアメリカとの対決を避けたうえに、経済的にもプラスだが、失敗したら損害が大きいと意味で、「河豚計画」と呼ばれたそうです。
関係者の子孫のお話がネット上でも閲覧でき、もし成功したら太平洋戦争も起こらなかっただろうと述べています。

 

日本はナチス・ドイツと同盟を結んだ戦犯国として今でも槍玉に挙げられますが、東アジア諸国対する加害は別として、日本が国策国家単位でユダヤ民族を迫害したことはなく、逆にユダヤ人迫害を求めてきたナチスの要請を蹴ってまでユダヤ人を保護したこと は知られていません。

 

6千人のユダヤ難民の日本通過ビザを発行した杉原 千畝(すぎはら ちうね)氏以外にも、ユダヤ人保護に尽くした日本人もいましたが、あまり知られていませんでした。

 

それでも、最近ではブリッジス・フォー・ピース.ジャパンの機関紙『月刊オリーブライフ2015年8月号』で、『ユダヤ人の命を救った義人−樋口季一郎陸軍中将』のタイトルで特集が組まれるなど、埋もれた歴史に再び光が当てられるようになりました。

でも、残念なことに、人間の世界では事実を曲げて外交戦争の道具に使おうとするなど、罪深い現実が存在しているのにはため息をつかざるを得ません。

 

以下は

 

産経新聞 2015年(平成27年)8月9日 日曜日 配信、

『【歴史戦】中国、上海ユダヤ難民資料を記憶遺産申請へ 旧日本軍が保護の史実を隠蔽 「抗日戦勝70年」の一環に』

http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%80%90%E6%AD%B4%E5%

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81%AB/ar-BBlxRnA 

 

から引用。

 

ここから全文引用。

 

【歴史戦】中国、上海ユダヤ難民資料を記憶遺産申請へ 旧日本軍が保護の史実を隠蔽 「抗日戦勝70年」の一環に

【上海=河崎真澄】戦前に欧州を追われ、上海に逃れてきた3万人近いユダヤ難民の資料を「世界記憶遺産」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録する申請作業が中国で進んでいることが8日、関係者の話で分かった。

 

ユダヤ難民は旧日本軍が当時、上海北部の日本人居留区に「無国籍難民隔離区」を置いて保護した経緯があるが、中国側はこうした事情をほぼ封印し、「抗日戦争勝利70周年」の一環として、中国がユダヤ人保護に貢献したかのように国際社会にアピールする

考えだ。

 

今回の申請作業を進めているのは、戦時中は摩西会堂(ユダヤ教会)と呼ばれ、現在は上海市虹口区当局が管轄している「上海ユダヤ難民記念館」。

記念館が集めた難民の名簿や遺留品、旧日本軍が管理した隔離区(通称・ユダヤ難民ゲットー)に関する資料、難民から聞き取った証言などをまとめ、中国政府とともに登録を働きかけている。

 

申請作業と並行し、9月3日に北京で大規模な軍事パレードなど一連の抗日戦勝利70周年記念イベントを行うのに合わせ、記念館や「リトルウィーン」と呼ばれたユダヤ難民の住居やダンスホール、カフェなどが立ち並ぶ、当時としては自由を謳歌(おうか)

したエリアの建築物改修を終える予定だ。

 

戦前の上海では、アヘン戦争(1840?42年)を経て英国などが設置した租界や、1937年の日中戦争の後にできた日本人居留区への上陸には必ずしも正式な書類は必要なかった。

 

元駐リトアニア領事代理の杉原千畝(ちうね)氏が人道的な見地から発給し続けた「命のビザ」を手に、日本を経由して、当時は世界でも限られた難民受け入れ地だった上海に向かったユダヤ難民も少なくなかった。

 

42年、ナチス・ドイツが日本に「最終解決」と称してユダヤ難民の殺戮(さつりく)を迫ったが、旧日本軍はこれを拒否。43年に「無国籍難民隔離区」を置き、許可なく域外に出られない制限を加えてナチス・ドイツに説明する一方、ユダヤ人の生命を守っ

た歴史がある。

 

日本がユダヤ難民を保護した理由として、上海社会科学院歴史研究センターの王健副所長は、「旧日本軍がユダヤ難民を当時の満州などに移住させて利用しようとした『河豚(ふぐ)計画』が背景にある」とみている。

中国は昨年6月、「南京事件」と「慰安婦」を世界記憶遺産に登録申請し、日本政府が反発している。

 

以上、引用終了。

 

産経新聞は右よりと言われています。
私個人は、先の戦争を正当化するのでもなく、また右寄りも左寄りの立場でもないことを誤解がないように表明しておきます。

この手柄は、当時尽力した人々に帰するものであって、現中国共産党政府や、日本民族や日本国家を単位として帰するものではないと個人的に考えています。

 

しかし、残念ながら、歴史を改竄(かいざん)して外交戦争のプロパガンダに利用することには不快感を覚えます。

主がモーセに与えた十戒の第9の戒め*「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない」(旧約聖書 出エジプト記20章16節)に違反するものです。

 

国々の外交戦争であろうと、個人的な駆け引きであろうと、偽りによって相手を貶(おとし)めて自分が優位に立とうとも、いずれ主なる神様はすべてを明らかにされます*「神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれる からだ」(旧約聖書 伝道者の書12章14節)。

 

私たちは主の光の前に、影を持たないように努めようではありませんか。

 

*新改訳聖書刊行会 翻訳、新改訳聖書による。

 

2015年8月9日 日曜日配信 

もう元には戻らない。でも新しいものが現れる

  • 2020.04.20 Monday
  • 22:10

もう元には戻らない。でも新しいものが現れる

 

コロナショック、あらゆる分野に影響

 

新型コロナウイルス感染拡大による影響は社会の様々な分野に大きな影響を及ぼしています。
日本政府は4月16日に、全国に緊急事態宣言を出し、不要不急の外出や3密(換気の悪い密閉空間、密集場所、密接場面)を避ける要請をしました。

 

世界経済も、リーマンショック以上、1930年代の大恐慌以来の低水準になると言われています(1)、(2)。
自治体の要請を受けて、ただでさえシャッター通りと化した商店街の店舗も自粛による閉店の張り紙がシャッターに貼られ、営業しているお店は数えるばかりでした(写真)。

 

店舗のシャッターに張られていた自粛休業のお知らせ

 

 

事業者の経営や従業員の生活は大変なことになることは火を見るよりも明らかです。

 

長期化する新型コロナウイルス感染の鎮静化

 

行政が要請する2、3週間前後の活動自粛で流行がピークアウトする可能性は低く、ハーバード大学は2022年まで断続的に行う必要があると予測しました(3)。

 

まさか2年間もあらゆる活動を停止し、引きこもることは不可能です。
しびれを切らして経済活動を再開して人々が活発に動き回ると、一度は鎮静化した感染も再び爆発するのは目に見えています。

 

1918年から1920年に世界中で多くの死者を出したスペイン風邪(インフルエンザ)のように変異したウイルスが第2波、第3波と襲ってきて終息までに2,3年かかるかもしれません。

 

ポストコロナの世界では、変異するのはウイルスだけでなく、あらゆるものも変異する(4)

 

新型コロナの影響は、経済活動、とくに働き方に大きな変化をもたらしつつあります。
感染拡大を防ぐためにテレワークが推奨され、会議や面接・面談もネットの利用が加速するでしょう。
教育の分野ではすでにオンライン授業が開始されていますが、オンラインによる授業や、医療分野でもオンライン診療が導入されてきます。

 

経済分野でも、不特定多数の手で受け渡される貨幣や紙幣には、病原菌やウイルスが付着しているので、好むと好まずにかかわらず、非接触型のデジタル通貨への移行が今後加速していることでしょう。

 

キリスト教会も変異を余儀なくされる

 

新型コロナの感染拡大は、キリスト教会にも大きな影響と変化を及ぼし始めています。

キリスト教会の定例の礼拝は3密に該当するので、各教会ではクラスター感染対策をとらざるを得なくなりました。
特に礼拝のスタイルに起こり始めています。

 

新型コロナウイルスのパンデミックは、共に集って主を礼拝し、励まし・戒め合うキリストのからだのスタンスに大きな影響と変化を迫っています。
対策方法をいろんな教会のホームページから覗いてみると、具体的には礼拝時間の短縮、座席は一定距離を離す、窓を開けて換気をする、マスク着用の義務、賛美は奏楽のみで飛沫が飛ばないよう歌わない、オンライン配信などが取られているほか、礼拝を休止している教会もありました。

 

しかし、ホームページにお知らせ欄そのものがなく、対策を確認できない教会も結構ありました。
クラスター感染を防ぎつつ、礼拝を継続するために今後オンライン礼拝の配信が増えることでしょう。

 

2つ目に献金の方法が変化していくかもしれません。
所属教会につながりながら自宅でオンライン礼拝をすると、わざわざ現金が入った献金袋を後日教会まで届けに行くようなことではなく、オンライン献金になるでしょう。

 

これは一部大きな教会や、キリスト教関係団体では始まっていますが、小さな規模の教会まで広がっていくかもしれません。

 

これからライブ礼拝配信とオンライン献金を始めようとする教会への頼もしい助っ人紹介

 

以前から礼拝の様子を動画でアップロードしていた教会や教団教派は基盤があったので、比較的オンライン礼拝の提供はしやすいのですが、ホームページもなく、ネットの管理に長けた奉仕者もいない小さな群れには高いハードルです。
これからライブ礼拝配信とオンライン献金を始めたいが、奉仕者もノウハウもないという教会に情報のシェアです(5)。

 

一つは「CHRISTIAN COVID-19」(6)で、コロナウイルス感染に対して、『CALM 』というクリスチャンITネットワークに参加するメンバーが中心となり、立ち上げたサイトです。
ITのことに詳しくなくても、わかりやすい表現で制作されていて、スマホ一台でも配信できるように心がけた解説がなされています。

 

二つは「Lamp Mate(ランプ メイト)」というクリスチャンが立ち上げた教会応援サイトで、こちらもわかりやすい内容になっています(7)。

 

発想の転換と意識を改革する

 

私が以前、「岐路に立つ21世紀のキリスト教界」(8)で、教会同士が、ネットのクラウドサ−バ−のように、互いにつながりあう「クラウド・パストラル・ケアシステム」を分かち合ったとき、6・70代以上のクリスチャンたちは冷ややかで、懐疑的かつ否定的な見解でした。

 

年配者たちの懸念は、80年代のアメリカでテレビ伝道者の番組を自宅で見て、教会の群れに加わらないクリスチャンが出現したように、インターネットで流される礼拝や情報だけで満足して孤立する人々が出ることでした。
しかし、今や3密を満たす教会の集会で万が一クラスター感染が起これば、証しにもならないでしょう。

 

ネット配信の負の側面ばかりを見るのではなく、プラスの側面を伸ばし、利用しない理由はどこにもありません。
年配者はスマホやパソコン、電子決済にあまり精通していないので、信仰生活のスタイルの大きな変化は望まないでしょう。
概してヒトは自分の苦手なものに対して否定的な感情や見解を抱きがちです。
そこは大らかな心をもって、教会を担う若い世代に任せればいいのです(9)。
やってみると、思いとは違った印象を受けるかもしれません。


出典

(1)CNN「世界経済は「大恐慌以来の低迷」、回復の道筋も不透明 IMF」
https://www.cnn.co.jp/business/35152413.html (2020年4月15日)

 

(2)朝日新聞デジタル「世界経済、3%のマイナス成長見通し 大恐慌以来の不況 」
https://www.msn.com/ja-jp/news/money/世界経済、3percentのマイナス成長見通し-大恐慌以来の不況/ar-BB12C0nT(2020年4月14日)

 

(3)朝日新聞デジタル「「外出自粛、22年まで必要」 米ハーバード大が予測」
https://news.livedoor.com/article/detail/18123035/(2020年4月15日)

 

(4)Yahoo!ニュース「「コロナ後」の世界では、国家、企業、社会はここまで激変する…!」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200415-00071772-gendaibiz-bus_all(2020年4月15日)

 

(5)キリスト新聞社 「教会向けの「対策サイト」を開設 オンラインでの礼拝、献金の方法など最新の情報を随時更新中 2020年4月11日」
http://www.kirishin.com/2020/04/10/42321/ (2020年4月14日)

 

(6)CHRISTIAN COVID-19 クリスチャン向け対策サイト
https://covid19jc.com/(2020年4月14日)

 

(7)Lamp Mate「教会ホームページを0円でつくる」
https://kyouichi.lampmate.jp/(2020年4月14日)

 

(8)アーカイブス 岐路に立つ21世紀のキリスト教界1
http://maccabaeusministries.com/?eid=40

 

アーカイブス 岐路に立つ21世紀のキリスト教界2 クラウドチャーチ(雲型教会群)の形成 
http://maccabaeusministries.com/manage/?mode=write&eid=41

 

アーカイブス 岐路に立つ21世紀のキリスト教界3 「通教・礼拝難民」の出現
http://maccabaeusministries.com/manage/?mode=write&eid=42

 

アーカイブス 岐路に立つ21世紀のキリスト教界4 クラウド・パストラル・ケアシステムの構築
http://maccabaeusministries.com/manage/?mode=write&eid=43

 

アーカイブス 岐路に立つ21世紀のキリスト教界5 クラウド・パストラル・ケアシステムの運用
http://maccabaeusministries.com/?eid=44

 

(9)Yahoo!ニュース「新型コロナ1年で収束せず  専門家は厳しい見方、五輪にも影響」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200419-00010003-jij-sctch(2020年4月19日)
 

アーカイブス 封印された「アルメニア少年の預言」(3)

  • 2020.04.18 Saturday
  • 22:56

今回は、「封印された「アルメニア少年の預言」」の(3)です。

 

(1)、(2)のあらすじです。
およそ百年前、文字の読めない少年預言者を通して語られた、幻の預言を主なる神様からの警告と受け止めたアルメニア人クリスチャンたちは、アメリカに逃れました。

 

その後預言どおり、トルコ人イスラム教徒によって百万人あまりのアルメニア人たちが虐殺されました。

 

その中の一人が祖父で、フル・ゴスペル・ビジネスメンズ・フェローシップ・インターナショナル(英語でFull Gospel Businessmens Fellowship International、略してFGBMFI)の創始者のデモス・シャカリアン氏(1913-1993年)の自叙伝、『 『地上最大の成功者』 あるクリスチャン実業家の証し』で、原文英語の題名は"The Happiest People on Earth"の内容です。

 

 

 

 

その本には、少年預言者は、もうひとつの預言を封印して、時が来ないうちに、主にふさわしくない者がその預言の手紙を開封したら死ぬだろうと語りました。

 

その際、その少年預言者は、アメリカ大陸からも、さらに逃れなければならないと語りました。
デモス氏は、その著書の最後に、「「主の再臨の直前、アメリカのクリスチャンたちを襲う大迫害を予告しているのでしょうか。個人的には、私はそう思っています。」と述べて締めくくられています。

 

今回はその公開されていない、第二の預言に関する情報を分かち合います。

 

情報源は、

Surfing The Apocalypse Network - LARRY TAYLOR'S SEARCH FOR SECRET PROPHECIES FROM ARMENIA

http://www.surfingtheapocalypse.net/forum/index.php?id=9163

2013年08月14日 閲覧

 

より、部分抜粋翻訳 開始。


黙示録ネットワークサーフィン-ラリー・テイラーによるアルメニア少年の秘密の預言調査

 

2013年8月14日閲覧

シェナンドア

2004年7月27日23時35分

 

ラリー・テイラーによるアルメニア少年の秘密の預言調査

[ラリー テイラー---私は最近この秘密の手紙の存在に関するあらゆる情報を求めて、「フロム_ザ_エッジ」(インターネットサイトの名前、訳者注)のeメールを送りました。

 

私はそのeメール回答を分かち合います。

 

「やあ、ラリー ---私たちはケンとアニー・シスラーといい、南米ウルグアイにいます。
あなたが私たちと分かちあえる「秘密の手紙:について、もしあなたが入手できるのであれば、大変感謝なことです。
私たちはデモスとローズ(デモス・シャカリアン夫妻、訳者注)にダウニーにある彼ら家で80年代後半に会いました。
私たちは秘密の手紙を含む多くのことについて語りましたが、その時点でその秘密の手紙はまだ「封印された」おり、公開されてはいませんでした。

 

アニーはアメリカ合衆国の将来に関して見た幻と、それと比較するのは大切なことだと思います。
私たちは多くのことが、危急に差し迫っていると信じます。
祝福がありますように。

 

ケンとアニーより」

(ケンとアニーとは、秘密の手紙の預言の成就(じょうじゅ)を恐れて、いち早くアメリカ合衆国から南米のウルグアイに移住したアルメニア系の子孫と思われます。 訳者注)

 

私は「秘密の手紙」に関してさらに分かった情報を次のニュースレターで分かちあうつもりです。
同様に、もし私の読者がこの事柄について情報をお持ちでしたら、eメールでも手紙でも送って下さい。

 

ラリー W.テイラーのeメール:From_The_Edge@webtv.net

中略

 

(4)私は秘密のアルメニア少年の手紙の調査で、不思議な「筋道」を発見したように思えます。
同じく数人の人が、カリフォルニアのロサンゼルス周辺を歩き回ることで、手助けをしてくれました。
この秘密の手紙は、「それそのものがいのち」を持っているように思えます。

 

要約するなら、私はこの手紙について真実の調査で、多く秘密性と秘密の事柄があるように思われます。
いわゆる「そこに含まれる「事実」やメッセージ」より、「秘密」だということが重要だという印象を受けます。
あらゆる私の試みやFGBMFI協会や、あるいはリチャード・シャカリアへの接触も無回答か、または何の言葉も得られないか、探求結果も「ゼロ」でブラックホールようでした。
それでも、私は調査を継続しています。

 

興味深いことに、アルメニア系の人々は、こっそりアメリカ合衆国から南アメリカへ静かに移住していました。
言うなれば、彼らは1998年よりも以前に神によって語られたアメリカに迫害が来る前に移住しています。
神が、何年もの間、アルメニアの人々に向けて書かれた完全に良い指示の「手紙」を神が与えたとき、移動するよう命じるのはおかしいです。
まあ、あなた方は時々自分自身でそれをしなければならないでしょう。。。
 

オーケー、この調査のいきさつについて語ると、分かったことはこうです。

 

ディビッド・ウィンコフからラリーに手紙が送られてきました。
その教会はこの手紙の開封を拒否しました。

それでこのいきさつの残りはこうです。

 

「私の知るところでは、封印された本物の手紙はまだ公開されていません。
私がこのコピーをどのようにして手に入れたかという話はこうです。
:カナダで聖霊のバプテスマ止んだとき、1880年代(?)、アルメニアに山の中にあるデモスの村を訪れた*ロシア人預言者のひ孫から入手したものです。、

 

およそ10年前に、彼は主から声を聞いて今こそ警告に耳を傾ける時で、それを宣言するために封印されて手紙を入手するためにロサンゼルスのロシアン・リバイバル教会に行きました。

 

その教会は(霊的に)死んでおり、手紙の公開を拒否したので、彼は10日間断食すると、主が封印された手紙の内容を啓示されました。
私が知るところによれが、それは公に公表されていませんでしたので、私は今までそのコピーを全く分かち合ってきませんでしたが...

 

手紙の内容

 

逃げよ、逃げよわが民よ。
呪いを受け継ぐ場所から私が導くところへ。
飢え渇いた心で私の水をもとめて荒野へ逃げよ。
私の子供たちをシオンに集めよ。

 

なぜなら地の王たちは私を拒み、国々の民は私の民に逆らうからだ。

私の恵みはアメリカから離れていると万軍の主は仰せになられた。

 

なぜならこの地の王たちは私を拒み、彼らはマゴグの地のメシェクとトバルの大首長であるゴグと淫行をもったからだ。

それゆえ恐ろしい災害がこの地みもたらされる。
そのためこの地から離れ、あなたがたの中から従順な残りの者たちを私は連れ出し、荒野でかくまおう。
荒野はかぐわしい香りで咲き乱れている。

 

もし、あなたがたが私の声に聞き従うなら、私はあなたとあなたの子供たちを悪い週間や罪から洗い聖め、私のオリーブの木へあなたがたを接ぎ木として接ぐことを知るだろう。

シオンへ、シオンへ私の心は飢え渇いていこう。

感謝をもって主の門に、大庭に入れ!

 

すると突然、恐ろしい暗闇がアメリカ合衆国とカナダに覆うのを私は見た:
革命の火による共産主義に暗闇;
経済の混乱、暴動、そしてアメリカ合衆国やカナダのうちの他の者へ、民族が敵対して立ち上がる;
さらにカリフォルニアや東海岸に沿って地は起き上がり、その座の上に背教や姦淫があり;
病に冒され、貧しいおびただしい数の人々;
そして権力にあるわずかな数の富んでいるが不信仰な人々。

 

目覚めよ、目覚めよ、わが民よ。
私が遣わす者たちを拒んではならない。

起きよ、起きよ、困難な時がやってくる。

 

すると突然、私は大きな声を聞いた:私の民が知識は無いので滅びる。
その後、私は3人の御使いと、彼らの中の一人がこの民に語った。
「なぜあなた方の子供たちは聖められていないのか;どこに彼らはいるのか?
あなたはそのことで神を非難するだろうか?
神は禁じた!

 

なぜならその子は聖霊の聖い祈りを通してまだ母の胎に入るときから聖別されなければならないからだ。
しかしあなた方は神の聖なる人々のこの種の祈りを拒絶し、あなた方は、主イエス・キリストがご自身が忌み嫌っているニコライ派の誤った教理の実を刈り取ろうとしている!」

 

それから私は大きな声を聞いた。
「我が民よ、我が民よ。何度あなた方を私は集めたいと願ったか。
しかしあなた方は偽り者を信じ、恐ろしい狼たちが小さな群れではなく、あなた方の中に入った。
敵はあなた方を散らし、あなた方が私の力をしりぞけたのであなた方の数は減っている。

あなた方は自分の耳ざわりの良い教師たちを、みずからかき集めている。
そしてあなた方は私の預言者たちを拒み、自分の道やしるしを求め、自分の悟りに頼っている。

これはあなた方への最後の警告である。」

 

引用以上。

 

ラリー・テイラー牧師が、アルメニア系の人々に接触を試みて第二の預言をリサーチしました。
ところが、一部のアルメニア系の子孫たちは、第二の迫害を恐れて、預言が公開される前に南米のウルグアイにいち早く脱出したようです。
結局のところ、第二の預言の手紙は開封されることなく、ロシア人預言者のひ孫が10日間の断食を通して、主の啓示で内容を書き出したということです。

 

その啓示で開かれた内容には絵が描かれていて、次の逃れの場所は何と、モーセが十戒を授かったシナイ半島が示されています。

 

第二の預言の手紙が開封されて公開されていない以上、啓示によって示された内容と一致しているか何とも言いがたいのですが、次の行き先はとにかく、百年前のアルメニア人大虐殺を言い当てた以上、アメリカ合衆国からも逃れなければならないことも成就するでしょう。

 

おそらく、アメリカ合衆国でクリスチャンに対する迫害が起こるだろうかと、信仰のある人ですら首をかしげるでしょう。
今後その可能性について分かち合える機会があることを望みます。

 

*「ロシア人預言者のひ孫」

主なる神様はあらかじめ伏線を引いていたようです。
ロシア人預言者とは、デモス氏の祖父に聖霊のバプテスマを授けた人物で、啓示を受けたのがそのひ孫というわけです。

 

その内容は次のとおり。

「地上最大の成功者 あるクリスチャン実業家の証し」 P3-10
デモス・シャカリアン 述、ジョン・シェリル 記録より

 

p-3
私は、日曜日毎に、五人の小さな娘たちを連れて、家の教会へ歩いていく祖父を思い描くことができます。
アルメニア人の大部分は、ロシヤ正教であったものの、祖父と多くのカラカラの人たちは長老派でした。
私は、祖父が無言の非難の目が集中している中を、しっかりと顔を上げてその日曜日に礼拝の持たれる家に向かって、村の中を行進していくのが見えてきました。

 

祖父は、非常な必要に迫られていたにもかかわらず、五十年近くもの間、山をこえて少しずつもれて来る不思議なメッセージを、すぐに受け入れようとしなかったことは、私にとって、いつも驚きでした。
そのメッセージは、ロシア人によってもたらされたものです。

 

祖父がロシア人を好きであったのは間違いないのですが、彼らの奇跡の物語を受け入れるには、余りにも冷静な頭を持ちすぎていただけなのです。

 

ロシア人たちは、幌馬車の長い隊列を組んでやって来ました。
ロシア人たちは、我が民族のように、襟のつまった長い上着を着、腰を房のついたヒモで結び、p-4 結婚している男性は、あごひげを延ばしていました。

 

ほとんどのアルメニア人もまた、ロシア語を話したので、お互いの意思の疎通に困難はありませんでした。
アルメニア人たちは、ロシア人がロシア正教会の何十万というクリスチャンに起こった、「聖霊の傾注」と呼ぶ話に耳を傾けていました。

 

ロシア人たちは、贈り物を携えて来た人々のように、彼らが分け与えたいと願っていた聖霊の賜物を持って来たのです。
私は、そのロシア人たちの訪問の後で、祖父母が夜遅くまで話し合っているのを聞くことができるような気がします。
あのロシア人の言っていることは、すべが聖書に基づいていると認めざるを得ないと祖父は言ったことでしょう。

 

中略

 

p-5
一九00年…(中略)…、百人のロシア人のクリスチャンたちが幌馬車で山を越えてこちらに向かっているという知らせが入りました。
みな喜びました。クリスチャンが訪れる時には、到着したらいつでも祝宴を開いてもとてなすのが、カラカラの習わしでした。
ロシア人が伝えている「純福音」に賛成していなかったにもかかわらず祖父は、彼らの来訪は神がもうけて下さった機会と考え、自分の家の広い平らな前庭を歓迎の祝宴を開くように、強く主張しました。

 

さて、祖父は自分の立派な牛がご自慢でした。ロシア人たちがこちらに向かっているという知らせを聞くと、出かけて行って牛の群れを見渡しました。
そして、この特別な祝宴のために、一番立派で太った牛を選ぶつもりだったのです。

 

ところが、あいにく、群れの中で一番太った牛は、調べてみると傷ものでした。
片目がつぶれていたのです。

どうしたらいいのでしょう。
祖父は、自分の聖書をよくわきまえていましたから、欠陥のある動物を主に捧げるべきでないということくらい知っていました。
レビ記二十二章二十節では、「欠陥のあるものは、いっさいささげてはならない。それはあなたがたのために受け入れられな  p-6  いからである。」と言ってはいないでしょうか。

 

何という窮地でしょう。群の中には、百人の客にふるまうに十分な大きさの牛はいなかったのです。
祖父はあたりを見回しました。
だれも見てはいませんでした。
その大きな牛を殺して、ただ問題の頭を隠してしまったとしましょう。
そうです。それこ祖父がしようとしていたことでした。
祖父は片目のつぶれた牛を納屋に連れて行き、自分で殺してからすぐに頭を袋に入れ、うす暗いすみっこの脱穀して小高く積まれた麦わらの下に隠しました。

 

カラカラに入ってくるガタゴトという幌馬車の音を聞いた時、牛肉の下準備もすっかり終わっていました。
何と喜ばしい光景でしょう。ほこりっぽい道をやって来たのは、それぞれ、四頭の汗まみれの馬に引かれた、見覚えのある幌馬車の一隊でした。

 

先頭の一群の馭者の脇には、その集団の指導者であり、預言者でもある白ひげの長老が、背筋をピンと伸ばして堂々と座っていました。

 

祖父と小さなイサクは、客を迎えようと道を走っていきました。

町中で、祝宴の準備が行われておりました。やがて、カンカンにおきた途方もなく大きな炭火の上で、串ざしにした牛肉が焼かれました。

その晩、長い厚板のテーブルのまわりには、お腹をすかせて待っていた人々が集まりました。
けれども、食事の前に、祝福の祈りをしなければなりません。

これら年配のロシア人のクリスチャンたちは−食前の祈りであろうと、彼らが「油注ぎ」と呼ぶものを受けるまで、一言も祈ろうとはしませんでした。

 

彼らの言葉でいう、「聖霊が下る」まで主の御前で待っているのです。
祖父は少々面白がったのですが、彼ら神の臨在が下るのを感じられると主張しました。
それが起こると、彼らは手を上げて喜び、踊ったものでした。

この時もいつものように、ロシア人たちは御霊の油注ぎを待ち望みました。
みんなが見守っていると、やはり次々にその場で踊り始めました。
何もかもいつものように行なわれました。
やがて、食前の祈りがあり、祝宴が始まるはずでした。

 

ところが、突然、長老が祝福のしるしではなく、すべてを止めさせる合図として手を挙げたので、祖父はろうばいしました。
そして、人の心のそこまで見抜くような目つきで祖父を見つめながら、長身で白髪のその人は、一言も言わずにテーブルから離れて歩いていきました。

 

庭を横切って、納屋へ大またであるいていく白髪の老預言者の一挙一動を祖父の目が追っていました。
間もなく彼が出て来た時、手には祖父が山積みの麦藁の下に隠した袋が握られていたのです。

祖父はふるえだしました。

 

どうしてあの人にわかってしまったのでしょう。
自分を見ていたものは誰もいなかったのに、あの牛の頭を隠した時には、ロシア人たちは村に到着してさえいなかったのです。
さて、その長老は、祖父の前に言いのがれもできないその袋を置いて、乳白色の目のついた頭をとりだしてみなに見せたのです。

 

「デモス兄弟、何か告白すべきことがあるのではないかね。」とロシア人は尋ねました。
「はい。あります。でもどうしてご存知でしたか。」と、祖父は震えながら言いました。
「神がお教えくださったのじゃ。」と老人はいとも簡単に答えました。
「そなたは、神がご自分の民には、昔のように今も語られるということを、まだ信じておらんのじゃ。
御霊は、特別な理由があって、この知識の言葉をわしにお与えになった。
それはそなたとご一家が信じるようになるためなのじゃ。
そなたは御霊の力にずっと抵抗してきたが、今日からはもうそんなことをしなくなるじゃろう。」

隣人と客たちの前で、その晩祖父は、自分がごまかそうとしていたことを告白しました。
濃いあごひげの中に、涙を流れしたたらせながら、祖父は人々のゆるしを乞いました。

 

「どうしたら、私も神の御霊を受けることができるか教えて下さい。」と祖父は予言者に言いました。

祖父がひざまずくと、その年取ったロシア人は、労働で節くれだった手を彼の頭の上に置きました。
とたんに、祖父は、自分にもまたまわりの者にもわからない言葉で、喜びに満ちた祈りをどっとあふれ出させました。
このように我を忘れて発する言葉を「異言」と呼び、聖霊がそれを語る人々と共にいることのしるしとみなしていました。
その晩、祖母もまた、この「聖霊のバプテスマ」を受けました。

これは私たち一家に起きた、生活の大変化の始まりでした。

 

メールニュースNo96. 2017年03月09日 木曜日配信

アーカイブス 封印された「アルメニア少年の預言」(2)

  • 2020.04.17 Friday
  • 23:16

メールニュースNo94. 封印された「アルメニア少年の預言」(1) 2017年01月13日 金曜日配信」の続きです。
それはフル・ゴスペル・ビジネスメンズ・フェローシップ・インターナショナル(英語でFull Gospel Businessmens Fellowship International、略してFGBMFI)の創始者であるアルメニア系アメリカ人の実業家、デモス・シャカリアン氏の著書で、『 『地上最大の成功者』 あるクリスチャン実業家の証し』から、少年預言者の預言の内容の前半部分を分かち合いました。

 

今回はその預言を信じてアメリカに渡り、大虐殺から免れたデモス氏の一家のアメリカでの話しです。

デモス・シャカリアン 述、 ジョン・シェリル 記録 『 『地上最大の成功者』 あるクリスチャン実業家の証し』 より

 

英語原版タイトルは"The Happiest Person on the Earth"

以下は日本語版抜粋ページ箇所の内容

 

ここから、抜粋部分的引用開始。

 

32〜33ページ

私自身の他に、今や飯場は、納屋で私たちのそばで働くメキシコ系アメリカ人で一杯になり、父と私はもうその頃にはスペイン語を話すことができるようになっていました。
お互いに語り合った彼らのメキシコの話と、アルメニアの生活を回想する父の話と、どちらが相手の話をより楽しんで聞いていたことか、私にはどちらとも言えません。

 

人々は少年預言者エフィムのこと、あるいはマガーディチ・ムシェギアンがどのようにして父の誕生を予言したかを何度聞いても聞きたりませんでした。

 

新しく働き手が加わる度毎に、父は物語をはじめから全部やり直さなければなりませんでした。

その後、父はいつも、かつてロサンゼルスのフラットと呼ばれているこの地域で行われた最大の葬式を説明したものでした。
それは1915年のエフィムの葬式です。エフィムはグレス通りの教会(集会がアルメニア語で行われていた)ではなく、数ブロック離れたところにある、ロシア語を話す教会に出席していました。

 

あの大規模な葬式の日、それら2つの教会の会衆が一緒に集まったばかりではなく、正教会のアルメニア人やロシア人も「狂気じみたペンテコステ運動」への反感をぐっと押さえて、集会に出席しました。
それは、彼らの中にも、エフィムの預言を信じてアメリカへ来た人々が大勢いたからでした。

 

「それで、まだ開けてない方の第二の預言はどうなりましたか?」とメキシコ系アメリカ人が訪ねました。

「それはまだ、エフィムの息子が保管していますよ。」

「もし、あんたがそれを開ければ、あんたは死ぬのかね。」

「主が指名された者ではない限りはな。」

「そりゃ、いったい誰だというのかね。」

もちろん、それは誰にもわかりません。

 

285〜286ページ

「私は、その昔、少年預言者に与えられ、未だに封じられたまま開かれていない、第二のメッセージを思い出しました。
それは、主の再臨の直前、アメリカのクリスチャンたちを襲う大迫害を予告しているのでしょうか。

 

個人的には、私はそう思っています。
その時に備えて、御霊が私たちに今注がれているのだと思うのです。

キリストの体全体に益になるために、主の体にしっかり結び合わせ、その体の中で、その人にしかできない仕事を各人に割り当てるために。

 

いったい誰が、あのメッセージを開いて教会のために読むことを仰せつかるのか。たびたびいぶかるのです。

しかし、それは大事なことではありません。

 

大事なことは、神が私たち一人一人に行きなさいと言われることなのです。
何であれ、神が与えて下さった賜物を携えて行きなさい − 自分に与えられた賜物を見出した使うとき、周囲の世界の情況がどうあっても、私たちは世界で最もしあわせな者となることを承知して − 行きなさい。」

 

以上、引用終了。

 

まだ開けてない方の第二の預言、封印されたままの第二のメッセージとは、それから遠い将来、そこ(カリフォルニア−アメリカ)から逃れなければならない時が来るという預言のことです。
それは時が満ち、主から選ばれた者だけが封筒を開けて、教会のためにその預言を読むことができ、時が満ちないうちにそれを開ける者は死ぬであろう、と告げられたのです。

 

この著著の日本語版の発行が1975年とありますから、まだ当時は明らかにされていなかったことになります。
うっすらと、恐怖を覚えるのは、著者のデモス氏が、著書の最後に「主の再臨の直前、アメリカのクリスチャンたちを襲う大迫害を予告しているのでしょうか。個人的には、私はそう思っています。その時に備えて、御霊が私たちに今注がれているのだと思うのです。」という箇所です。

 

この本の日本語版の発行が1975年ですから、原版である英語版はもっと早い時期に発行されたこことになります。
その時すでに、著者自身封印された第二のメッセージはアメリカのクリスチャンたちへの大迫害だと予想していたのです。
実はここ数年前から、その可能性を全く否定できないような、様々な情報が入っています。

 

もし、機会があればそれについて分かちあうこととします。

さて、その第二のメッセージの内容ですが、筆者もその後が気になり、数年前から検索しましたが、ヒットしませんでした。
英語で検索すると、それと思われる内容がヒットしました。

それと思われる内容について次回配信いたします。

 

いずれにせよ、私たちは聖書が語っている終わりの時、困難な時代に心備えをしなければならないのです。

(続く)

 

メールニュースNo95. 2017年01月15日 日曜日配信

世界統一宗教について ビホールド イスラエル(Behold Israel)から

  • 2020.04.03 Friday
  • 21:10

先日3月27日アップの「世界統一政府への布石か? イギリス元首相、「世界政府」を呼びかける」で、世界統一宗教の布石について触れました。

 

Behold Israel(ビホールド イスラエル)の Amir Tsarfati(アミール・ツァルファティ)氏が、世界統一宗教について言及しています。

日本語訳の字幕があるので、是非視聴してください。

 

『世界統一宗教のおこり By アミール・ツァルファティ』

https://www.youtube.com/watch?v=bo9W6r2Z4H0

アーカイブス キリストのからだから異教神礼賛を取り除こう2

  • 2020.04.03 Friday
  • 15:47

教会の記念写真撮影でも必ずといっていいほどなんらかのポーズやサインを目にすることがあります。
年配者は殆どしないのですが、青年層、特に教会学校の子供たちの撮影サインに、人差し指と中指だけを突き立てる「vサイン」とも「ピースサイン」とも言われるサインを見かけます。
世俗一般では写真撮影では当たり前になっていますが、その由来や意味を追求する者はそう多くいません。

 

vサインの由来

 

14世紀から15世紀のイギリスとフランスの間で行われた百年戦争がはじまりとされています。
イギリスの弓兵(きゅうへい)は長弓(ちょうきゅう)でフランス軍を圧倒しました。そのため捕虜にされたら二度と弓を引けないように指を切り落とされることがあったそうです。。
「切り落とせるなら切り落としてみろ」と挑発(ちょうはつ)のために見せ付けたという説があります。

 

普及

 

1960年代にベトナム戦争に対する反戦デモや、ヒッピー文化で平和を願う印として広く行われました。
平和を願う、ピースサインとしての聞こえはいいのですが、ヒッピー文化はそれまでの伝統、権力やシステムに対する抵抗・反抗からドラッグや性的乱れ、東洋宗教や神秘主義に走ったりしました。
中には共同体を形成する者まで現れました。

 

vサインのオカルト的側面

 

注目すべきこととして、第二次世界大戦中にイギリスの首相チャーチルが頻繁(ひんぱん)に使用しました。
同じ時期に20世紀最大の魔術師とされるイギリスのアレイスター・クロウリーは自らが発案者だと主張しました。
彼によると、ナチスドイツのかぎ十字に対抗するため、☆つまり五芒星(ペンタグラム)の魔力を応用したと主張しました。
☆を逆さにした逆さペンタグラムは、ヤギの頭を持つ悪魔「バフォメット」を象徴し、その角を表すとも言われています。

 

逆さペンタグラムは天界を追われた堕天使長ルシファー(サタン)のシンボルでもあります(イザヤ14:12−15、黙12:7-9、ルカ10:18)。

 

vサインはシルエットが角を持つ悪魔になるとも言われています。

クロウリーによれば、Vサインの正式な名称は、「アポフィスとタイフォンのサイン」とのようです。
「アポフィス」は、古代エジプトの悪魔の化身のことで、世界に闇と混沌(こんとん)をもたらすといわれました。
「タイフォン」は、タイフォーン(台風)の語源にもなり、砂漠の悪神、つまり破壊力を表わすようです。

普及となったきっかけやオカルト的意味を考えた場合、一般的であっても好ましいものとは思えません。
教会は頭となっても尾となることなく、主を讃える新しいサインを創造し、広めてはどうでしょうか。

(キリストのからだから異教神礼賛を取り除こう 終わり)

 

メールニュースNo.72 2016年04月05日  火曜日配信

アーカイブス 封印された「アルメニア少年の預言」(1)

  • 2020.04.01 Wednesday
  • 20:45

今回は筆者が分かち合うべきか、控えるかしばらく検討していた話題を配信します。
タイトルは何か胡散臭い、非聖書的な雰囲気が漂って、警戒される方もいらっしゃるはずです。
もっと別のタイトルする選択もありますが、検索しやすいようにネットで出回っている同じタイトルにしました。

これは、フル・ゴスペル・ビジネスメンズ・フェローシップ・インターナショナル(英語でFull Gospel Businessmens Fellowship International、略してFGBMFI)の創始者の自叙伝の一部内容です。

 

その自叙伝のタイトルは『 『地上最大の成功者』 あるクリスチャン実業家の証し』で、原文英語の題名は"The Happiest People on Earth"です。

 

 


この本は非売品で、ペンテコステ系教会に無料配布されていました。
筆者もその恩恵に預かり、所有しています。
非常に重要な内容を含んでいますが、30年ほど前のことで、当時、一緒にもらったはずの主にある兄姉ですら、内容を問うと覚えているのはわすかです。

 

その内容はもちろん、聖書中に見出すことはできません。

しかし、今後終末に起こるかもしれない未曾有宇(みぞうう)の患難(かんなん)を思わせる内容です。
現在進行しているさ様々な出来事に鑑(かんが)みますと、聖書が指摘している困難な時代に重なって写ります。

FGBMFIはキリスト教ペンテコステ派に属するアルメニア系アメリカ人の実業家、デモス・シャカリアン氏(1913-1993年)によって創設された団体です。

 

デモス氏の祖父の時代、一家はアルメニアにいました。現地ではロシア系で、少年預言者と呼ばれたエフィムという名の字の読み書きできない少年が幻を見せられました。
それはトルコ人イスラム教徒によるアルメニア人クリスチャンの大虐殺の幻でした。
デモス氏の祖父とその幻を信じた人々はアメリカに渡り、トルコ人イスラム教徒による大虐殺から免れることができました。
その一部の抜粋を分かち合います。

 

デモス・シャカリアン 述、 ジョン・シェリル 記録 『 『地上最大の成功者』 あるクリスチャン実業家の証し』 より

英語原版タイトルは"The Happiest Person on the Earth"

以下は日本語版抜粋ページ箇所の内容

 

ここから、抜粋部分的引用開始。

11〜15ページ 

「その人の本当の名前は、エフィム・ゲラセモヴィッチ・クラブニケンで、特筆すべき経歴の持ち主でした。
彼はロシア系で、その家族は、国境を越えてカラカラに永住した最初のペンテコステの群に属していました。
幼少時代からエフィムは、祈りの賜物を現し、しばしば長い断食を続け、四六時中祈っていました。
カラカラの誰もが知っているのですが、エフィムが十一歳の時、再び主が、徹夜の祈りに召しておられるのを聞きました。

 

今度は七日七晩続けましたが、その間に彼は幻を見ました。

それ自体は何も珍しいことではありませんでした。事実、祖父はよく、そんなに長い間食べることも眠ることもしなければ、誰だって何か見え始めたりするものた、とぶつぶつ言っておりました。
しかし、エフィムは七日間になし得たことは、そう簡単に説明できないことです。

 

エフィムは読み書きができませんでした。
にもかかわらず、彼がカラカラの小さな石造りの家の中に座っている時、自分の前に図表と美しい手書きの文字で書かれたメッセージの幻を見たのです。
エフィムは紙とペンを求めました。

そして、七日間、家族が食事をするための荒削りの板のテーブルのそばに座って、目の前を通り過ぎて行く文字の形や図を苦心して写したのです。

 

それが終わると、写したものを、村で字の読める人たちのところへ持っていきました。

すると、この文盲の子どもが、ロシア文字で一連の教えや警告を書き上げていたことがわかりました。
いつとははっきり指定されていなが、将来カラカラのクリスチャンはみな、恐ろしい危険に出会うようになる、と少年は書いていました。

 

その辺一帯に、筆舌に尽くしがたい悲劇が襲ってくる時を預言したのです。
その時には、幾千万の老若男女が虐殺されるというのです。
その地方の人々はみな逃げ出さなければならない時が来る、と少年は警告しました。
人々は海の向こうの国へ行かなければならないというのです。

今まで地理の本を見たこともないというのに、少年預言者は、脱出するクリスチャンたちが行くべき所をはっきり示した地図を描きました。

 

大人たちが驚いたことには、非常に精密に描き出された海は近くの黒海やカスピ海、あるいは遠く離れた地中海でさえなく、なんと、はるかかなたの想像も及ばない大西洋だったのです。
それについて疑問の余地はなく、海の向こうの大陸がどこかもはっきりしていました。
地図にはアメリカの東海岸が明白に描かれていました。

 

しかし、避難民たちはそこに安住してはいけない、と預言は続いていました。
新大陸の西海岸に達するまで、旅を続けなければならない。
そこで神は彼らを祝福し繁栄させ、子孫たちを諸国民に対する祝福とする、と少年は書いたのです。

 

しばらくして、エフィムはまた第二の預言を書き出しました。
しかし、皆に知らされたことは、さらにもっと遠い将来についての預言で、人々はもう一度逃れなければならない時が来るということでした。

 

エフィムは両親に頼んで、この預言は封筒にいれて封をしてもらい、預言について与えられた指示を繰り返しました。
幻の中で彼は、将来の預言者 − この仕事のために主に選ばれた者 − のみが封筒を開けて、教会のためにその預言を読むことができ、時が満ちないうちにそれを開ける者は死ぬであろう、と告げられたのです。

さて、カラカラの多くの人々は、この少年の空想物語を微笑して聞いていました。
確かに「奇跡的な」筆記については、何か納得のいく説明がなければなりません。

 

ひょっとしたら、村全体にいたずらをするつもりで、密かに読み書きを習ったのかもしれません。

しかし、他の人々はエフィムは少年預言者と呼び慣れており、メッセージが本物でないなどとは思ってもいませんでした。
新しい政治問題のニュースが、アララテの周囲の平穏な丘陵地帯に届く度ごとに、人々は、もう黄ばんでいるページを取り出しては、またしても読みなおしていました。

 

マホメット教のトルコ人とキリスト教のアルメニア人との間の問題は、緊張の度合いを強めているようでした。
一八九六年八月 − 祖父が片目のつぶれた牛をほふるより四年も前のこと − トルコ人の群れが、コンスタンチノープルの路上で、六千人以上ものアルメニア人を殺害したではありませんか?

かし、コンスタンチノープルは遠い所ではあったし、あの預言が与えられてから何年も経過していました。
聖書の預言は、その出来事の何十年も、時には何百年も昔に与えられたことは事実です。
しかし、祖父を含めてカラカラの大多数の人々は、聖書が完成したことによって、あのような本物の預言の賜物は終わったもの、と信じていました。

 

ところが、今世紀に入って少したった頃、エフィムは、五十年近くも前に書いた預言の言葉が成就する時は近づいている、と発表したのです。

 

「アメリカへ逃れなければならない。ここに残る者はみな滅ぼされてしまうだろう。」

カラカラのあちらこちらで、ペンテコステ系の家族たちは荷造りをし、ずっと昔からの先祖の財産を後に残しました。
エフィムとその家族は最初に出発する群れの中にいました。

 

ペンテコステ派の群れがアルメニアを出発する度に残留した人々はあざ笑いました。
懐疑的で、不信仰な人々は − 多くのクリスチャンたちも含めて − 神は現代においても、現代の人々に詳細で、適格な指示を与えることができることを信じようとしなかったのです。

 

しかし、その指示の正しいことが証明されました。
一九一四年、想像を絶する恐怖の時期がアルメニアを襲ったのです。
トルコ人は、情容赦ない強引さで、住民の三分の二をメソポタミヤの砂漠に追い出す血なまぐさい仕事に取りかかったのです。
カラカラの全住民を含めて百万人以上もの老若男女が死の行進の最中に死んでいきました。
他の五十万人は自分たちの村で虐殺されました。

 

これは後で、ヒットラーがユダヤ人絶滅の青写真をあてがうことになりました。
「トルコがアルメニア人を根絶したとき、世界は干渉しなかった。今度も干渉しないだろう。」と彼は部下に話したのです。

包囲されていた地域をやっと逃れてきた少数のアルメニア人たちは、偉大な英雄の話を伝えてきました。
時々、トルコ人たちは、クリスチャンたちに、信仰を否むなら代りに命は助けるという機会を与えたのです。
好んで用いられた方法は、一群のクリスチャンを納屋に閉じ込め、それに火を放つことでした。
「キリストの代りに、モハメッドを受け入れるなら、ドアを開けてやろう。」というのでした。
幾度も幾度も、クリスチャンたちは炎に包まれながらも、讃美歌を歌いながら自ら死を選んでいきました。

少年預言者の警告を受け入れて、アメリカに避難した人々は、非常なショックをもってこの知らせを聞きました。」

 

以上、引用終了。

 

このアルメニア人虐殺は歴史的事実で、フィクションではありません。
世俗のメディア(1)ですら、「預言の警告」という文言が盛り込まれた記事を掲載してあります。
世俗以上にクリスチャンは心を研ぎ澄ませて、この世の行き様に注意を払わなければなりません。


筆者が特に注目したのは、「聖書が完成したことによって、あのような本物の預言の賜物は終わったもの、と信じていました。」、「懐疑的で、不信仰な人々は − 多くのクリスチャンたちも含めて − 神は現代においても、現代の人々に詳細で、適格な指示を与えることができることを信じようとしなかったのです。」という文章です。

 

現在でも、福音派のある教団は、汽灰13:8,11を根拠に預言、異言、奇跡は終わったと解釈します。
聖霊のわざは使徒時代だけではありません。
私たちが引き上げられるまで、みわざをなされます。

他に注目したことは、「しかし、皆に知らされたことは、さらにもっと遠い将来についての預言で、人々はもう一度逃れなければならない時が来るということでした。」という文章です。

 

デモス氏の祖父はアメリカ東部から西部のカリフォルニアまで移動し、そこを安住の地としました。
しかし、第2の預言には、そこからも逃れなければならないとあるのです。

 

自由の国アメリカで、クリスチャンに対する迫害があるとでもいうのでしょうか?
多くの人々には信じがたいことです。
一度はたまたま的中しただけで、二度目は外れるのでしょうか?

しかし、昨今の情勢を見ると、自由はつかの間でいつそれが失われるかもしれないのです。

(続く)

 

(1)Will Stewart, 6, Feb.2016 "EXCLUSIVE: Keeping Up With The Kardashians circa 1900! How Kim's ancestors heeded prophet's warning of looming slaughter to escape rural Armenia for a new life in the U.S."
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2939622/Keeping-Kardashians-circa-1900-Kim-s-ancestors-heeded-prophet-s-warning-looming-slaughter-escape-rural-Armenia-new-life-U-S.html
Mail Online

 

メールニュースNo94. 2017年01月13日 金曜日配信

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